大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和50年(レ)301号 判決

控訴人

安田栄司

外一名

右両名訴訟代理人

高木義明

外二名

被控訴人

川辺正郎

右訴訟代理人

丹羽鑛治

主文

本件控訴はいずれもこれを棄却する。

控訴費用は控訴人等の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、控訴の趣旨

1  原判決中、控訴人等敗訴の部分を取消す。

2  被控訴人の控訴人等に対する右取消にかかる部分の請求をいずれも棄却する。

3  控訴費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

二、控訴の趣旨に対する答弁

主文第一項同旨

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  別紙物件目録記載の建物(以下本件建物という。)は被控訴人の所有である。

2  控訴人等は昭和四五年頃から本件建物を占有している。

3  本件建物の一ケ月の賃料相当額は昭和四六年一一月以降一〇万円である。

よつて、被控訴人は控訴人等に対し、所有権に基き、本件建物の明渡を求めるとともに、占有開始の後である昭和四六年一一月一七日より右明渡済に至るまで一ケ月金一〇万円の割合による賃料相当の損害金(共同不法占有による被控訴人の本件建物所有権侵害による損害賠償金)の連帯支払を求める。

二、請求の原因に対する認否

請求原因1は認める。同2の事実のうち控訴人安田栄司(以下控訴人安田という。)が本件建物を昭和四五年頃から占有することは認めるがその余の事実は否認する。控訴人金末女(以下控訴人金という。)は控訴人安田の指示のもとで本件建物内の店舗の営業に従事しているにすぎない。同3は否認する。

三、抗弁

1  賃借権

(1) 控訴人安田は昭和四一年八月頃、本件建物を被控訴人の父である訴外川辺尚義(以下訴外尚義という。)から賃借した。(以下本件賃貸借契約という。)

(2) 訴外尚義は昭和四八年三月六日死亡したので、本件賃貸借契約に基き控訴人安田に対し本件建物を使用収益させる同訴外人の義務(以下本件義務という。)は、相続により被控訴人及び訴外川辺富(以下訴外富という。)の相続人両名に不可分的に承継された。

(3) したがつて被控訴人は本件義務の履行を拒絶し得ない。仮にこれを拒絶しうるとしても、本件義務の履行を拒絶することは以下の事情により信義則に反する。

イ 控訴人安田が本件建物を賃借するに至つたのは、訴外尚義の手によつて本件建物に「貸店取扱者小嶋不動産」という大きな看板が掲げられており、しかも当時本件建物は登記簿上訴外尚義の所有名義になつていたことから、本件建物が同訴外人の所有と信じたためであるところ、被控訴人は右看板掲示の事実や登記簿上の記載を知りながら、これらのことを黙認し、本件建物が同訴外人の所有でないことを第三者に覚知させ得る手段を講じなかつたもので、この点は被控訴人の落度である。

ロ また、被控訴人は控訴人等が本件建物を使用していることを知りながら、訴外尚義死亡まで約七年間も異議を述べず、控訴人等の本件建物の使用を黙認していた。

2  留置権

(1) 被控訴人が訴外尚義から本件義務を相続承継したことは前記のとおりであるところ、被控訴人は、本件義務の履行を拒絶したから、履行不能としてこれによつて生じた損害を控訴人安田に賠償する義務を負担したものというべきである。

(2)イ 仮に被控訴人が本件建物の登記名義を回復したことにより、訴外尚義の本件義務が履行不能になつたものとすれば、同訴外人は、これによつて生じた損害を控訴人安田に賠償する義務を負担したものというべきである。

ロ しかして訴外尚義の右損害賠償義務は、同訴外人が昭和四八年三月六日死亡したため、被控訴人三分の二、訴外富三分の一の割合で相続承継された。

(3) 控訴人安田は、被控訴人に対する右損害賠償請求権のため本件建物につき民法上の留置権を有するから、右権利を行使し、右請求権につき弁済があるまで本件建物の明渡を拒絶する。

四、抗弁に対する認否

抗弁1の(1)の事実は不知、同1の(2)の事実中訴外尚義が昭和四八年三月六日死亡し被控訴人と訴外富がこれを共同相続したことは認める。同1の(3)の事実のうち本件建物が当時登記簿上訴外尚義の所有名義になつていたこと、被控訴人がこのことを知つていたことは認める、本件建物に控訴人ら主張の看板の掲げられていた事実は知らない、その余の事実は全部否認する。

本件建物は、被控訴人が訴外江東信用組合からこれを買受け、昭和三六年九月二五日自己の所有名義に登記したものであつたが、昭和四〇年一二月二四日訴外尚義が被控訴人の印鑑証明を偽造してほしいままに同訴外人の所有名義に登記してしまつたので、被控訴人は昭和四一年二月二三日訴外尚義に対し、東京地方裁判所に右訴外人名義の登記の抹消を求める訴を提起し、昭和四一年三月五日付でその予告登記がなされているから、控訴人安田は、被控訴人が本件建物の所有権を主張し訴訟中であることを知つていた筈であり、仮にこれを知らなかつたとしても、登記簿を閲覧することにより容易にこれを知り得たはずであるからその知らなかつたことに大きな過失がある。従つて被控訴人において本件義務の履行を拒絶することが信義則に反するものということはできない。

抗弁2の(1)、(2)のイ、(3)は争う。同2の(2)のロのうち、訴外尚義の死亡と被控訴人及び訴外富が相続人であることを認め、その余は争う。

五、再抗弁〈以下省略〉

理由

一1  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

2  同2の事実のうち控訴人安田が昭和四五年頃から本件建物を占有していることについては当事者間に争いがない。そこで控訴人金の占有の有無につき考えるに、〈証拠〉を総合すれば、本件建物は昭和四一年夏頃から店舗として使用され「三五苑」との名称で焼肉屋が営まれていたこと、本件建物は店舗使用を目的として賃借されたものであり賃料の領収書も「三五苑の名称となつていること、右店舗は控訴人金が、控訴人安田から任された形で営業しているものであるが、その営業許可は営業当初から控訴人金が得て居り、同人右店舗における営業に関し責任者たる地位を占めて本件建物を使用していることが認められる。以上の事実によれば、控訴人金は、本件建物につき、単なる控訴人安田の所持の機関ではなく、同訴外人から独立した支配権能を有し被控訴人主張の昭和四五年頃から本件建物を占有するものといわねばならない。右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  請求原因3の事実につき考えるに〈証拠〉によれば、控訴人安田が被控訴人の義父訴外尚義から賃借した本件建物の賃料は昭和四一年当時一ケ月六万円であつたことが認められ、この事実に、前記認定事実及び顕著な事実である昭和四一年以後の地価の上昇、物価の上昇等をあわせ考えれば、本件建物の賃料相当額は昭和四八年三月七日(訴外尚義の死亡の翌日で原審認容の損害発生の始期)以降一ケ月一〇万円を下らないものと認めるのが相当である。右認定を左右するに足りる証拠は無い。

二  そこで、抗弁について検討を加える。

1  賃借権の抗弁について

(1)  〈証拠〉によると、次の事実を認めることができる。

被控訴人は訴外尚義の養子(昭和三三年一月七日入籍)であるが、同三六年五月三一日、前所有者江東信用組合から本件建物を買受け、同年九月二五日所有権移転登記を経由したこと、被控訴人は義父訴外尚義と同居していたが被控訴人妻と養母の仲がうまくゆかないため同四〇年七月半頃から訴外尚義と別居するに至つたこと、ところが、訴外尚義は、被控訴人不知の間に無権限にて本件建物につき自己名義に同年一二月二四日受付の所有権移転登記を経由し、被控訴人はその頃、訴外尚義名義の右所有権移転登記がなされた事実を知つたこと(右登記及び被控訴人がそれを知つた事実は当事者間に争いがない。そこで、被控訴人は同四一年春頃訴外尚義に対し右登記の抹消登記手続を求める訴を提起し、これに伴い同年三月五日本件建物につきその予告登記がなされたが、右訴訟係属中の同年八月頃、訴外尚義は、被控訴人の承諾もないのに控訴人安田に本件建物を期間三年、更新可能、賃料一ケ月六万円等の約定で賃貸し、その後本件賃貸借は訴外尚義と控訴人安田との間で更新されていること、被控訴人は訴外尚義に本件建物を他人に賃貸する権限を与えたことは全くないこと、被控訴人は同四五年六月九日、本件建物につき、訴外尚義に対し東京高等裁判所の処分禁止の仮処分決定を得て同年六月一二日仮処分の登記を経由し、その後右訴訟に勝訴して同四六年一一月一七日訴外尚義の右所有権移転登記を抹消し、登記上の被控訴人所有名義を回復したこと、被控訴人は、本件建物で訴外尚義が営業しているものと思つていたが、控訴人等の占有使用を知つてただちに、同四八年秋頃控訴人等に対し、本件建物は訴外尚義の所有であつたことはなく、被控訴人の所有であること等事情を説明して明渡を求めたが、控訴人等はこれに応じなかつたこと、その後被控訴人と控訴人等との間で交渉がなされたが控訴人等は訴外尚義との間の本件賃貸借契約を主張し、被控訴人の明渡要求に応じなかつたので、被控訴人は遂に本件訴訟を提起するに至つたこと、以上の事実を認めることができる。成立に争いのない甲第三号証は前顕控訴人安田本人尋問の結果に比照して右認定を覆すに足らず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(2)  抗弁1の(2)の事実中訴外尚義が昭和四八年三月六日死亡し、被控訴人、訴外富が共同相続したことは当事者間に争いがないから被控訴人らは訴外尚義が負担していた本件義務を不可分的に相続承継したものというべきである。

(3)  ところで、控訴人等は、被控訴人は控訴人安田に対し右相続承継した本件義務の履行を拒み得ない旨主張する。しかし、他人(所有者)所有の建物を無権限で賃貸した者(貸主)が死亡し、所有者において貸主を相続した場合には、所有者は相続により貸主の賃貸借契約上の義務ないし地位を承継するが、一方所有者は、元来その所有建物を賃貸するか否かの自由と権能を保有するものであり、その所有者としての地位権能が相続による貸主の義務の承継という偶然の事由によつて左右されるべき理由はなく、所有者は相続前と同様その所有建物の賃貸につき諾否の自由を保有し、信義則に反すると認められるような特別の事情のないかぎり、右賃貸借契約上の貸主としての履行義務を拒否することができるものと解するのが相当である(他人の権利の買売についての最高裁判所昭和四九年九月四日大法廷判決参照)。

そして叙上説示、認定の事実関係によれば、被控訴人は、右説示における所有者にあたるものというべきである。控訴人等は被控訴人が本件義務の履行を拒否できない右特別事情があると主張する。しかし、被控訴人が看板掲示の事実や登記簿上の訴外尚義名義の所有権移転登記並びに控訴人等の本件建物使用を黙認していた旨の控訴人等の主張事実はこれを認めるに足りる証拠はない。かえつて被控訴人は、訴外尚義に対して訴を提起し、予告登記もなされ、また控訴人等の占有を知つた後は、ただちに本件建物の所有権を主張して明渡を求めている経緯は前記認定のとおりである。しかも、叙上認定事実によれば、被控訴人が右賃貸借に関与したこともなく、右賃貸借から利益を得たこともなく、また控訴人等は賃貸借の当初から被控訴人から明渡を請求される可能性ある地位にあつたことは明らかである。なお、控訴人安田が訴外尚義の所有と信じて同訴外人から本件建物を賃借したとしても、叙上認定説示の事実関係に照らし、これをもつて前記特別の事情にあたるものということはできない。その他本件全資料を検討するも、被控訴人の本件義務の履行の拒否が信義則に反すると認められるような特別の事情はこれを認めることはできない。

以上の次第で控訴人等の右抗弁はいずれも理由がないものというべく、被控訴人は本件義務の履行を拒否することができるものである。そして叙上認定説示の事実関係及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人は本訴の提起を以て確定的に本件義務の履行を拒否したものと認めることができる。この認定を覆すに足りる証拠はない。

2  留置権の抗弁について

被控訴人は、本件建物の所有者として叙上認定のとおり、相続にかかる本件賃貸借契約上の貸主としての本件義務の履行を拒否したのであるから、本件賃貸借契約は前記認定の拒否の時点において、履行不能に帰し、被控訴人は、履行不能による損害賠償義務(訴外尚義の瑕疵担保責任に因り、或は同訴外人の責に帰すべき履行不能に因る。なお、控訴人安田が、本件賃貸借契約の当時本件建物が被控訴人の所有に属し同訴外人に賃貸する権限のないことを知つていたと認めるに足りる証拠はない。)を負い、控訴人安田は被控訴人に対し右損害賠償請求権を取得したものというべきである。

ところで、控訴人安田は、右損害賠償請求権をもつて、本件建物に留置権を行使する旨主張する。しかし叙上説示、認定の事実によれば控訴人安田の主張する右損害賠償請求権は本件建物自体を目的とする債権がその態様を変じたものであり、このような債権は民法二九五条一項の「其物ニ関シテ生シタル債権」とはいえないというべきであるから、被控訴人の本件建物所有権に基く明渡請求に対し、控訴人安田が右損害賠償請求権をもつて留置権を主張することは許されないというべきである(最高裁判所昭和三四年九月三日第一小法廷判決、同四三年一一月二一日第一小法廷判決参照)。

しかも、叙上説示、認定の事実によれば、控訴人安田は、少くとも過失により無権原(不法)に被控訴人所有の本件建物の占有を始めかつ継続しているものというべきであるから、この点においても右留置権を主張することは許されない。なお、付言すれば叙上の事実関係のもとにおいては、同時履行の抗弁に関する諸規定、公平・信義則の法理に照らして考えても、控訴人安田が、被控訴人の本件建物所有権に基く明渡請求に対し、右損害賠償請求権をもつて同時履行の抗弁を主張することも許されないというべきである。

以上の次第で、控訴人安田の留置権の抗弁は理由がない。

3  以上の事実によれば、控訴人両名は、本件建物を少くも過失により無権原に各占有して被控訴人の本件建物所有権を侵害し、昭和四八年三月七日以降は一ケ月金一〇万円の割合による損害を与えているものというべきであるから、被控訴人の控訴人両名に対する本件建物所有権に基く本件建物の明渡請求並びに昭和四八年三月七日以降右明渡済に至るまで一ケ月金一〇万円の割合による損害金の連帯支払を求める請求部分は、その余の点につき判断するまでもなくいずれも理由があり被控訴人の右請求を認容した原判決は相当であるから民事訴訟法三八四条により本件控訴をいずれも棄却することとし訴訟費用につき同法九五条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(後藤静思 松尾政行 糸井喜代子)

物件目録〈略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例